札幌高等裁判所 平成9年(ネ)335号 判決
事実及び理由
第三 争点についての判断
一 争点1(本件事故の態様及び死亡との因果関係)について
1 Aの死因が硬膜下出血であることは、前記第二の二3に説示したとおりである。そして、〔証拠略〕によれば、急性硬膜下出血は、頭部又は顔面が打撲された場合のほか、頭部等が打撲されない場合であっても、頭部の急激な運動によって発生することもあること、及び本件事故後、Aの頭部又は顔面に、打撲傷等の外力が作用したことを示す痕跡はなかったことが認められる。
2 被控訴人らは、Aの硬膜下出血は、BのグローブがAの頭部又は顔面を殴打した衝撃により、あるいは同人のグローブがAの頭部又は顔面を殴打した直後の転倒によって床板に頭部又は顔面を打ったことにより発生した旨主張する。
(一) まず、Aが倒れた際に床板に頭部又は顔面を打ち付けて硬膜下出血を起こしたか否かについて検討する。
Aが倒れたときの状況については、引用した原判決の「事実及び理由」第二の二2に記載のとおり、腰を後ろに引く形で床に膝をつき、前方にかがむように倒れたものと認められるのであって、Aが床に頭部又は顔面を打ち付けたことを認めるに足りる証拠はない。のみならず、仮に打ち付けたことがあったとしても、その際の衝撃が硬膜下出血を発生させるに足りる程度のものであったことを認めるに足りる証拠はない。したがって、硬膜下出血の発生原因は、Aが倒れる原因となった事実と同一の事実によるものと推認するのが相当である。
(二) 次に、Aが平成五年一月二一日のスパーリング中に倒れた際、脳に出血を生じ、それが原因で、同年二月五日に倒れた可能性について検討する。
〔証拠略〕によれば、<1> 同年一月二六日の単純CTスキャンの結果、Aの脳に異常は認められなかったが、単純CTスキャンに写らない出血の見落としの可能性もあり得ないわけではないこと、<2> Aは、同月二一日から二月五日までの間、頭痛を訴えていたが、本件事故の直前まで、麻痺や意識障害を訴えたことはなかったこと、<3> 過去に脳内に生じた出血が慢性硬膜下血腫を形成し、これが増大して脳を圧迫することにより死に至る場合には、解剖で古い血液を確認できる場合が多いが、Aの解剖の結果において、古い血液の存在が指摘されていないこと、以上の事実が認められる。右の事実によれば、前記の可能性を全く否定することはできないにしても、その可能性は大きいものではないと認めるのが相当である。
(三) 更に、本件ボクシング練習において、BのパンチがAの頭部又は顔面を直撃したものと認められるか否かについて検討する。
(1) Aを司法解剖した医師寺沢浩一作成の鑑定書(〔証拠略〕)には、「これ(注・硬膜下出血)は外力が頭部又は顔面に作用して、あるいは頭部が強く揺すられて発生したものと考えられるが、外力の作用した痕跡は認められない。したがって、頭部・顔面に作用した外力の媒体となった成傷器は、広い面積をもつ、比較的柔らかい鈍体と推定される。」との記載がある。
しかし、右の記載は、急性硬膜下出血が、頭部・顔面が打撲されない場合であっても、例えば、頭部の急激な回転運動によって発生することもあること(〔証拠略〕)を無視し、外力が頭部・顔面に作用しなければ発生しないことを前提として、Aには外力の作用した痕跡が認められないことから、直ちに、「頭部・顔面に作用した外力の媒体となった成傷器は、広い面積をもつ、比較的柔らかい鈍体と推定される。」と結論付けているものといえるのであって、右の結論部分を直ちに採用することはできないというべきである。
(2) 本件事故後、脳外科医としてAの診療に当たった太田穣医師作成の死亡診断書(〔証拠略〕)には、Aの死因につき、外傷(頭部打撲)による脳挫傷と記載されているが、同医師は、原審において、Aが余市協会病院に搬入された当日の頭部CTスキャンフィルム(脳幹が不明瞭になっていて、右大脳半球が著明に腫脹し、右大脳の球外部の表面に出血を認める。)を見た際の判断について、「先入観念を持ちすぎないということが必要だが、直感的に外傷だろう、と思った。しかも、ボクシングをしていたということで、典型的なそういう事故ではないかと考えた。頭が静止状態から急激に外力で加速されると橋静脈が切れるが、そういう事故だと考えた。」旨供述している。
しかし、右の供述は、要するに、ボクシング練習中に硬膜下出血が発生したのであるから、頭部打撲によるものに違いない旨供述するにすぎないのであって、前記1に認定した硬膜下出血の発生機序に照らすと、右の記載及び供述によって、直ちに硬膜下出血の発生原因が頭部打撲によるものと認定することはできないというべきである。
(3)<1> 本件ボクシング練習において、Aの練習相手を務めたBは、被控訴人代理人の質問に対し(原審における録音テープの検証結果)、一般論として、マスボクシングでも、相手の技量によっては、相手に当てる場合があり、また、当てるつもりがなくても当たってしまうこともある旨を述べているが、本件ボクシング練習においては、BのパンチがAに当たった記憶はないと述べている。また、Bは、原審証人として、手応えや衝撃が残るようなパンチがAに当たったことはないと供述し、「かすることも含めて、どこも当たっていないか。」と尋ねられて、「それは全くないとは言えません。が、手に感触のあるようなそういうものはありません。」と答えている。
<2> 被告乙山本人は、原審において、「マスボクシングでたまたま当たるということはないのですか。」との質問に対し、「触りもしない、かすりもしないということはないと思いますが、ただ、打ったという感じでもって当たるということはないと思います。」と述べ、本件事故当日、BのグローブがAに当たったことはない旨供述し、「クリーンヒットは別にしても、B君の打ったグローブがA君のグローブを介して、中にして、A君の顔とか顎とか、頭部付近に当たったことはあり得るわけですか。」と質問され、「あり得るともあり得ないとも何とも言えないです。」と答え、続いて「当たっているという記憶はありませんか。」との質問に、「ありません。」と答えている。
<3> 本件事故当時現場にいた者で、BのパンチがAに当たったところを見た者はいない(〔証拠略〕)。
右のB及び乙山の各供述は、全体としてみて、特に虚偽の事実を述べているようには思われないのであるが、B及び乙山の立場に鑑み、その供述の信用性を割り引いて考え、かつ、本件ボクシング練習中に硬膜下出血が発生したとの事実及び一般論として、マスボクシングにおいて、当てるつもりがなくても、相手が予測と異なった動き方をすれば、パンチが当たってしまうこともあり得るとの事実を考慮してみても、本件ボクシング練習において、Aが頭部を急激に動かしたりした際に、硬膜下出血が発生した可能性も全く否定することはできないのであって、前記の証拠関係からは、疑問は残るものの、未だBのパンチがAに当たったために硬膜下出血が発生したものと認めることはできないというべきである。そして、他に右の事実を認めるに足りる証拠はない。
二 争点2(乙山の過失の有無)について(その一)
1 公立学校における在学関係は、入学許可という行政処分によって発生する公法上の関係であって、契約によって生じる私立学校における在学関係とは異なるというべきであるから、被控訴人らの民法四一五条を根拠とする主位的請求は理由がない。
2 しかしながら、公立学校の教師は、その職務上、生徒に対し教育活動を行うに当たり、それによって生じる危険から生徒を保護すべき注意義務が課せられているというべきであり、教師がこの義務に違反した場合には、学校の設置者たる国又は地方公共団体は、国家賠償法一条一項により、損害賠償責任を負うというべきである。
3 乙山によるボクシング部の指導監督は、公権力の行使に当たる公務員がその職務を行うことに該当するので、以下、乙山の過失の有無について検討する。
(一) 被控訴人らは、Aは、平成五年一月二一日、スパーリング中突然倒れ、その後も頭痛があるなど体調は優れず、同月二二日から二九日までは学校を休んでいるし、その後も事故当日を含め、必ずしも体調が万全ではなかったのであるから、練習内容に配慮し、相手と対峙する形式の練習は控えさせるなどの注意義務があったのにこれを怠った旨主張する。
しかしながら、被控訴人らの主張するようなAの体調不良に起因して本件事故が発生したことを認めるに足りる証拠はない。のみならず、既に認定したとおり、乙山は、Aが同年二月一日から練習を再開してからも、練習内容を他の部員に比して軽いものにしていた上、〔証拠略〕によれば、本件事故の前日である同月四日の練習前に、乙山が「調子はどうだ。」と尋ねたところ、Aは、「頭痛はもう治りました。鼻が多少グズグズしているのは鼻炎のせいです。」と答えており、本件事故当日も、Aから体調不良の訴えはなく、外観上、体調は良いように見受けられたことが認められるのであるから、Aが当時一六歳で、自己の体調について相当程度の判断力を有していたものと推認されることをも勘案すると、本件事故当日、乙山には、Aに対し、相手と対峙する形式の練習は控えさせるなどの注意義務があったものということはできず、被控訴人らの前記主張は、採用することができない。
(二) なお、前記のとおり、BのパンチがAに当たったものとは認められないとすれば、硬膜下出血は、Aが本件ボクシング練習中に頭部を急激に動かしたりした際に発生した可能性があることになり、本件事故の発生を防ぐためには、本件事故当日にボクシング練習自体をしなければよかったということになるのであるから、既に認定した事情の下においては、乙山において、硬膜下出血が発生することを予見することができたものとは認められないので、本件事故当日にボクシング練習をさせたことに注意義務違反があるということはできない。
三 争点2(乙山の過失の有無)について(その二)
既に説示したところによれば、被控訴人らの請求は、いずれも理由がないというべきであるが、本件ボクシング練習中に硬膜下出血が発生したものと認められることからすると、BのパンチがAに当たった可能性も全く否定し去ることはできないので、念のため、BのパンチがAに当たって硬模下出血が発生したものと仮定した上、被控訴人の責任の有無についても判断しておくこととする。
1 本件ボクシング練習の方法に関する具体的事実
前記前提となる事実(原判決の「事実及び理由」第二の二)及び〔証拠略〕によれば、次のとおり付加、訂正するほか、原判決三三頁六行目の冒頭から同三六頁一行目の末尾までに記載の事実が認められる。
(一) 原判決三三頁一〇行目から末行にかけての「ボクシング部のスパーリング練習において」を「ボクシング部において、ヘッドギアを装着して、同級生である丙川一郎を相手にスパーリング練習をしている際に、丙川のパンチが顔面に当たって」に改める。
(二) 同三五頁二行目の「前記」から五行目の末尾までを「グローブを装着し、二人一組で互いに一定の距離を保ち、タイミングを図りながら、攻撃あるいは防禦のフォームを整え、目と感を養う目的で行う練習であり、相手にパンチを当てないという条件の下で行われる場合と、軽く当ててもかまわないという条件の下で行われる場合があるが、後者の場合も、スパーリングと異なり、相手をダウンさせるようなパンチを繰り出すことは想定されていない練習であり、攻撃側と防禦側の役割が固定されて練習が行われる場合、前記のとおり、防禦側も、時には、攻撃側のガードしたグローブを上から叩くとか、攻撃側の繰り出したグローブを弾くことがあるが、その衝撃が攻撃側をダウンさせることは全く想定されていないものである。したがって、マスボクシングの際にヘッドギアを装着することは必ずしも必要ではなく、練習する生徒の判断に任されている。本件ボクシング練習は、乙山の指示により、パンチを当てないことを前提として、Aが攻撃側となって、Bが防禦側となって行われた。」に改め、一〇行目の「B」から末行の「その後、」までを削る。
(三) 同三六頁一行目の次に行を変えて「(8) 本件事故までの間に、本件ボクシング練習において、一方のパンチが他方に当たって倒れたことはない。」を加える。
2 指導方針ないし一般的練習方法に関する過失について
右の点において、乙山に過失があったということができないことは、原判決の説示するとおり(原判決三二頁七行目の冒頭から同三三頁一行目の末尾まで)であるから、これを引用する。
3 本件ボクシング練習に関する過失について
(一) 被控訴人らは、マスボクシングを行う際には、当時のAの体調を前提として、Aの技量と相手の技量との差を慮り、パンチが当たらないようにするための適切な指示をするなどして、危険を回避する注意義務があり、また、状況に応じて、パンチが当たった場合の衝撃を緩和するため、時宜適切にヘッドギアを装着させるべき注意義務があったのにこれを怠り、国民体育大会への出場経験を持つほど技量の高いBを相手とさせ、パンチが当たらないように徹底するための指示も十分にせず、ヘッドギアも付けさせずにマスボクシングを行わせた旨主張する。
(1) 技量差のある者同士の練習について
被控訴人らは、AとBの技量差を問題にするが、前認定のとおり、本件ボクシング練習は、互いにそのパンチを相手に当てないことを前提とし、Aが攻撃側となり、Bが防禦側となって行ったものであり、防禦側であるBがパンチを出すことがあるにしても、Aのガードしたグローブの上から叩くことを前提としているものであるところ、〔証拠略〕によれば、右のような練習においては、練習相手であるBの技量が上であればあるほど、そのパンチをAに当たらないようにすることができる(単に繰り出すパンチの強度、方向等をコントロールすることができるに止まらず、Aの動きを予測し、誤ってパンチを当てることを防ぐことがより可能になる。)ことが認められるのである。したがって、互いに自由に打合いをする練習においてはともかくとして、これとは全く異なる本件ボクシング練習において、乙山が技量の優れたBを相手として選んだことは、適切であるということができても、何ら非難されるべきことではないというべきである。
(2) ヘッドギアの不着用について
既に認定した事実によれば、本件ボクシング練習において、攻撃側の者のパンチが防御側の者に当たることは、本来予定されていないということができるが、それでも、防御者のガードしたグローブに当てるつもりで出した攻撃者のパンチが、誤って防御者の顔面等に当たったり、防御したグローブに当たり、その勢いで、防御者のグローブが防御者の顔面等に当たることが、一般論として、全く考えられないという訳ではなく、防禦者のパンチが攻撃者の顔面等に衝撃を与える可能性は一層少ないといえるところ、〔証拠略〕によれば、高校生の指導に当たり、パンチを当てない前提でマスボクシングを行うときには、ヘッドギアを装着させないことが一般的であることが認められる。
そして、本件においては、繰り出すパンチをコントロールすることができるに止まらず、Aの動きを相当程度に予測し、誤ってパンチを当てることを相当程度防ぐ能力を有していると推認されるBが防禦側になったのであるから、このような場合においてもなお、乙山には、Aに必ずヘッドギアを装着させて本件ボクシング練習をさせるべき注意義務があったということはできないというべきである。
(3) Bへの事前指示について
〔証拠略〕によれば、<1> 乙山は、日頃から、Aと他の者をスパーリングの練習をさせる場合にも、Aには自由に打たせるが、相手になる者には、マスボクシングのつもりで、余り顔面に当たらないようにさせるなどのハンディキャップを付ける配慮をしていたこと、<2> 乙山は、日頃から、本件ボクシング練習においては、乙山から顔に当てても良いという指示がない限り、パンチを顔に当ててはならないとの指示をしており、本件においては、乙山から右の指示はされなかったこと、<3> 乙山は、本件当日、本件ボクシング練習を始めるに当たり、Aは暫く休んでいたので、Bからは打たないで、Aに攻撃させること、及び顔には当てないこととの指示をしたこと、以上の事実が認められる。
右の事実によれば、乙山としては、Bに対して、事前に必要にして十分な注意をしていたものというべきである。
(二) 被控訴人らは、余市高校には、ボクシング練習用のリングがなく、格技場において、フローリングの床の上に仮装のリングを作り、その中でスパーリングやマスボクシングを行っていたのであるから、これらの練習をする際には、転倒によって頭部や顔面を強打することがないように、予めヘッドギアを装着させるべき義務があったのに、乙山は、これを怠ったため、Aが転倒により床に頭部等を打ち付けた際、その被害を拡大させた旨主張する。
しかしながら、本件事故当日、Aが倒れた状況については、前記一2(1)に認定したとおりであり、Aが転倒により床に頭部等を打ち付けたことの事実を認めることができないので、右の主張はその前提を欠き、採用することができない。
4 まとめ
以上に説示したとおりであるから、Bのパンチが誤ってAの顔面等に当たったために、あるいは、Bが乙山の日頃の指示に反して、意識的にAの顔面等にパンチを当てたために、本件事故が発生したものと仮定した場合であっても、乙山には、被控訴人ら主張の注意義務違反があったものとはいえないというべきである。
四 結論
以上によれば、被控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないので棄却すべきである。
よって、右と異なる原判決中控訴人の敗訴部分は相当でないから、これを取り消した上、右部分につき、被控訴人らの請求をいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条二項、六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 瀬戸正義 裁判官 小野博道 土屋靖之)